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デトロイトと日本の新聞との共通危機 - 北村隆司

2009年06月02日17時00分 / 提供:ニュースブロガー

ニュースブロガー

アゴラ

少し旧聞に属しますが、日本の友人からニューヨークタイムスの広告収入が激減したと言う資料が送られて来ました。ニューヨークに住みながら地元に関する情報を東京の友人から貰うとは、私の怠慢なのか情報の国際化なのかと、一瞬考えさせられたものです。

アメリカ発のその資料によると、ニューヨークタイムスの本年度第一4半期の連結広告収益は前年度比で28.4%減り、減収幅は益々拡大しているとの事。同紙の期待したインターネット広告収益も6.1%減で一般広告より減少率は低いとは言え、下降傾向に歯止めが掛からない状況だと言うリポートでした。

この記事に添えられた友人のコメントは「ニューヨークタイムスは、今後限りなくローコストで回る事業スキームを組まない限り破滅の道を歩むだろう。米国ではジャーナリストを志す人は、益々ブロガーでスクープを狙い、TWITTER でフォロワーを競う様になるでしょう」と結んでいました。

ジャーナリズムの将来の形はさて置き、広告収入の激減は、ニューヨークタイムスに限らず,メデイア業界共通の悩みです。今回の不況が減収の直接原因である事は間違いありませんが、世界が不況から脱出した後、新聞業界が往年の活性を取り戻せる可能性はかなり低い様に思われます。

こんな事を考えていた矢先、GMの民事再生法申請が決まりました。今回の「事前調整付き民事再生法申請案」に依れば、米国政府とカナダ政府が70%の株を持つ形になります。自動車工業再生への政府の介入度合いは、ジェネラルモータースを意味したGMが、ガバメント・モータースのGMに替ると揶揄される程、大きな論議となっています。これで机上のプランは出来上がりましたが、公金を守るという名目での議会の干渉が予測されるなど、経営の前途は厳しい物があります。

6月1日の産経新聞に、「GM破綻の衝撃 ― おごりの体質を国民は見放した」という記事が出ています。破綻を迎えた今でも「GMは何も間違った事はしていない」と言い張る組合幹部の言葉を引用しながら、GMの創業から破綻に至る米国自動車産業の栄光と凋落を振り返ったこの記事が、日本の新聞業界の将来に重なって見えました。

同紙の記事は、中流層の成長と大量消費時代を迎えた1950年代には、GM,フォード、クライスラーのデトロイト・ビッグスリーが米国シェアの90%を抑え、当時GM社長であったチャールズ・ウイルソン氏が、国防長官に指名された際、GMと国防との利害の衝突の可能性を聞かれ、「GMにとってよい事は、国家にとっても良いことだ」と轟然と答えた傲慢さは、永い間話題になりました。

努力でなく、時代の流れによって肥大化した米国の自動車工業は、「消費者の要望に答えるより政治力を使って障害を取り除く」という安易な道を選択して、「驕り」の体質を身に着けてしまい、これが「品質改良、技術革新、世相の変遷を軽視する体質」を生んだ事は、デトロイト転落の歴史を見れば明白です。そして、この体質は、奇しくも、日本の新聞業会と恐ろしいほど共通しているように思えます。

1950年代の日本の新聞業界は、朝日、読売、毎日の3大紙に牛耳られ、読者の要望を反映するコラムなどゼロの状態でした。本社や工場の移転先に国有地の払い下げがスムースに行われ、「活字文化を守る為」と称して強大な政治力を駆使し、「再販取引の見直し」を潰し、「通信と報道の融合」を図る試みは検察を使ってでも阻止するなど、デトロイトの手法その侭です。

つい最近も、読売の渡辺社主が与謝野大臣を食事に呼び,厚生労働省の分割を指示したところ、与謝野氏はその場で了承したという記事が出ていました。日本の新聞業界の驕りはデトロイト以上です。

新聞業界の内部の敵が「驕り」にあるとすれば、外部の最大の脅威は技術革新です。「2013年には世界のネット加入者数が82億人に達すると予想される『文化革命』への備えを怠ったが故に、『不況という一過性の危機』が『構造危機』へと転化した」という気がしてなりません。不況は一過性の危機ですが、近代化の遅れは命取りになります。

新聞再販法問題で、河村官房長官に「新聞の再販制度を維持する事が文字、活字文化を維持する事に繋がる」等と発言させて、既得権益の保護に必死な新聞業会が、イノベーション対策なしにはこの「構造危機」を克服する道はない事を認識するのは、何時になるのでしょうか? 再販制度のない諸外国にも、日本に負けない「活字文化」が存在している事実は、この主張が如何に子供じみた発言であるかを物語っています。

新聞の将来を脅かす新しいインフラの整備状況を示す統計も、見逃す事は出来ません。近い将来、世界のネット加入者の半数がアジア太平洋地域に集中すると予想され、日本でも着々脱新聞インフラの整備が進んでいます。世界的近代化の流れを止めることは出来ません。自動翻訳の発達が言葉の障害を取り除き、デトロイトが日本車に負けた様に、豊かなコンテントを満載した諸外国の新聞に対抗出来なくなる日は、以外に早く来るかも知れません。記者クラブに守られた日本ジャーナリストの堕落の代償は、意外に大きくなる可能性を秘めています。

新聞の発行部数が1990年代から減少し始めたのは世界的傾向でした。部数の減少に比べ広告収入の減少が目立たなかったのは、広告単価を値上げして来たからに他ありません。これが自覚症状を狂わせた嫌いがあります。産業、国家、時代の壁を取り払い、定量的な統計と定性的な評論をあわせ読んで見ると,何となく大きな流れがつかめる気がします。

デトロイトと日本の新聞業界の共通した欠点は、消費者の求める物より,自分の作りたい物を作り続ける「驕り」にあります。GMの崩壊は、このビジネスモデルが最早通じなくなった事を意味しています。危機を乗り切る有効な武器は、「切磋琢磨」と「工夫に依るイノベーション」しかありません。技術の進歩とグローバル・エコノミーの発展が、日本人の伝統的な長所である「切磋琢磨と工夫」の大切さを教えて呉れるとしたら、日本の新聞の崩壊は寧ろ早い方が御国の為になるかもしれません。                    

ニューヨークにて  北村隆司


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